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ウェーバー『理解社会学のカテゴリー』[1913→1985=1990]

 

第一章 「理解」社会学の意味

・人間の行動には、その経緯が理解できる形で解明しうるような連関や規則性がある。

・「いかに明証的な解明といえども、それが妥当性を伴う『理解による説明』と言えるためには、当の連関の『理解』はさらに、他の場合でも常に用いられる因果帰属という方法によって常にできるだけコントロールされねばならない。」(10)

・明証性を最高度に備えているのは、目的合理的な解明である。一義的に把握された目的に適合するものと、(主観的に)観念される手段に、専ら準拠する行動を目的合理的な行動と呼ぶ。

・理解可能性が低い心的事象(記憶や知的訓練など)について、確定しうる規則性をもつ必要がある。→物理的自然の法則性と同じように扱う。(11)

□目的合理的でないものは、明証度と理解可能性が低いので、一定の規則性によって解明する必要がある。この規則性は「発見法としての方法論」であると言えよう。

 

◆用語解説

・【解明(Deutung)】:「人間行為のもつ意味連関に着目しながら、行為とそれを通じた理解や説明を目指す方法的な作業をいう。理解社会学における解明は、『意味』を把握する構造化された方法として、理解と説明とを密接に媒介している。」n.10

・【明証性(Evidenz)】:明白であって直観的に把握し得ること

・【妥当性(Gültigkeit)】:現実に通用すること

・【布置連関(Konstellation)】:ある行動をめぐってさまざまな動機が互いに関連しあいながら作用する状態を「動機の布置連関」と呼ぶ。

・【因果帰属(Kausalzurechnung)】:「ある事象の生起とそれに先行する一定要因との関係を、経験的な規則に照らして因果関係にあると判断すること。」

・(理解社会学における)【行為(Handeln)】:「(1)行為者によって主観的に抱かれた意味の上で他者の行動に関係づけられており、(2)その意味のうえでの関係づけによっても経過が規定され、(3)したがって、主観的に抱かれたこの意味から理解し説明することができるような行動である。」(13)

 

◆行為の意味連関に着目する「理解社会学」

・理解社会学が関心をもつのは、生理的な現象形態や、またそうした現象形態を特徴づけるような心的所与それ自体(緊張感、快感などの組み合わせ)ではない。むしろ理解社会学は、行為の類型的な意味関係に着目して区別を立てる。(14)

・「意味関係が同一であっても、その場合に作用している「心理的」布置連関が同じだとはかぎらない。」→例えば「利潤追求」(15)

・また、最終的なそれぞれの「目標」が何らかの親和性をもつとは限らない。

・「出生率や死亡率の増減、人類学的類型の淘汰過程といった主観的『意味関係』を欠く事象や、同様に剥き出しの心的事実などは、理解社会学にとっては、…意味をもった行為が準拠する『条件』や『結果』の役割を果たすという意義をもつに過ぎない。」(16)

 


 

第二章 「心理学」との関係

◆心理学的アプローチとの区別

・目的合理的行為の説明は、心理的な事情から行為を捉えるのではなく、その正反対で、主観的目的合理性(行為者自身が対象の行動に対して立てた予想)から、そして、妥当な経験からの「予想」(客観的整合合理性)から、行為を捉える。(20)

・「理念型的極限事例の場合が確定されてはじめて、事態の経過を、客観的に『非合理的』な構成要素や主観的に『非合理的』な構成要素へと因果帰属をすることができるようになる。」(21)t合理性と合理性の同時規定。

・「取引所恐慌」という極限事例。

 

◆整合合理性

・目的合理的行為と客観的整合合理的行為の乖離→当人にとって目的合理的な行為が、研究者にとっては全く妥当とは言えない行為がある。例えば「呪術的行為」。(22)

・実際の行為の経過と、研究者からみて「整合的」に妥当する行為の関係は、一致するか、背反するか、近似的であるか、などであるが、「研究を導く価値関係(Wertbeziehungen)」からして、非常に重要な事柄でありうる」。(23)

・意味上の適合的因果連関(sinnhaft adäquate Verursachung)

・「『整合型』との一致は、『意味上最も適合的』であるがゆえに、『最も理解しやすい』因果関係である。」(24)

・「一見すると直接に目的合理的に条件付けられたように思われる現象が、実は歴史的には全く非合理的動機から生み出されており、その後に、生活諸条件の変化がそれを高度な技術的『整合合理性』にまで成長させたがゆえに、『適したもの』として生き残り、場合によっては普遍的にみられるものとなるという事実」(26)

→(事項注33)『古代ユダヤ教』における部族組織から宗教集団の形成:遊牧的な部族の経済的条件から教団建設を(イデオロギー指数として)説明することはできない。「いったん教団建設がなされたならば、それは、それらの社会層の生活諸条件の下では、淘汰の闘争においてその他のより不安定な政治的形成体よりも生き残るはるかに大きな可能性を有したのであるが、この教団の建設がなされたかどうかは、全く具体的な宗教上の、そもそもしばしばこの上なく人的な事情や運命に依存したのである。」ピューリタニズムもまた、非合理的な動機から生まれ、生活条件の変化の下で整合合理性を獲得した。

・「整合型が、理念型としてどれほど合目的的なものになるかは、まったくもって価値関係に依存している。」(35)

 

◆心理学と理解社会学の三つの関係

・客観的整合合理性→経験的行為にたいする理念型

・目的合理性   →心理学的な意味において理解しうるものにたいする理念型

・意味において理解できる行為

→理解できないような形で動機づけられた行為に対する理念型

→「この理念型との比較を通じて、因果的に有意な(それぞれ異なった意味における)非合理性の諸要素が因果帰属という目的のために確定される」(30)

 

◆理解と説明

・意味のうえで理解された心的連関→因果連鎖の一項を担う資格を備えている(31)

・具体的な行動についての意味上の解明→仮説として利用する→検証可能(32)

 

◆「素朴なリアリズム」の想定

・「ある行為の整合合理性の程度というものは、結局のところ、経験諸科学にとっては経験的な問題である。というのは、経験諸科学は、研究対象相互間の現実的な関係を問題とする……場合には常に、……不可避的に「素朴なリアリズム」をもって研究を進めざるを得ないからである。」(33)

 

 

第三章 法教義学との関係

 

◆「目標」としての理解:方法論的個人主義

・考察の目標が「理解すること」にあるということは、理解社会学が、個々人とその行為とを最小の単位として、あるいは「原子(Atom)として」、扱う理由である。37

・「国家」や「仲間団体(協同組合)」や「封建制」などの概念は、社会学にとっては一般的に言って、人間の特定の種類の共同行為のカテゴリーを表現しているのであり、だからこそそうしたカテゴリーを「理解可能な」行為へと、すなわち参与している個々人の行為へと還元することは社会学の課題なのである。(38)

 

◆法学と社会学の相違

・法学は、「客観的意味解明」すなわち法命題の妥当すべき内容を研究する。「国家」を「法人格」として扱うことは、この研究に必要な補助手段である。

・これに対して社会学は、行為を問題にする。:法命題の意味に関して経験的にその都度確定されるような表象が特定の人々の考えを支配する→人々は行為を特定の「予想」に合理的に準拠させることが可能となる→具体的な個々人に対して特定の「可能性」を与える。(39-40)

 

 

第四章 ゲマインシャフト行為

・【ゲマインシャフト行為】:「人間の行為が当人の主観において他の人間の行動へと意味のうえで関係付けられている場合」の行為。(43)

→その構成要素は、@他者の行動についての予想(Erwartung)や、Aそうした予想を勘案しつつ自己自身の行為の成果について(主観的に)見積もった可能性(Chance)に、意味のうえで方向づけられるということである。(44)

・【予想準拠的行為】【価値準拠的行為】:第三者の「行為」についての「予想」に準拠するのではなく、行為者自身が信じた「価値」にひたすら準拠する。(46)

□物象化の一つのケース。例えば、貨幣。他者が貨幣を用いるという予想に準拠して自分も貨幣を用いるというケースは、予想準拠的である。これに対して貨幣はそれ自体として価値をもつから用いるというのは、価値準拠的である。

 

 

第五章 ゲゼルシャフト関係とゲゼルシャフト行為

・【ゲゼルシャフト行為】:@ゲマインシャフト行為が秩序に基づいて立てられた予想に意味上準拠しつつ方向づけられており、Aその秩序の「制定(Satzung)」が、ゲゼルシャフト関係にある人々のいかなる行為が結果として予想されるかを考慮しつつ、純粋に目的合理的に行われ、B意味上の準拠・方向づけが行為者の主観において目的合理的に行われる、という場合の行為。(49-50)

・【準拠】:「行為を秩序に準拠させる」というのは、秩序が与える意味に依拠して自分の行動を起こすことである。だから例えばトランプというゲーム秩序において「いかさま」をすることも準拠である。ゲーム参加者としてふるまっているからである。これに対してトランプゲームをやめてしまう人は、ゲームへの準拠をやめたのである。「泥棒」や「殺人者」は、秩序に違背しつつ準拠している。(52)

・「制定された秩序の経験的妥当」(53)→当事主体と観察者(研究者)による二つの妥当性付与。

・【秩序適合的ゲゼルシャフト行為】:他者の行動を平均的に当てにすると共に、平均的には、自分自身の行為をも他者の同じような期待に合うように律していくということ。(57-8)

→このほか、「秩序に違反したゲゼルシャフト行為」、「逸脱的なゲゼルシャフト行為」、「単にゲゼルシャフト関係に制約された行為」が分類される。

・【根拠づけ】:「関与者たちが自分の行為をただ単に他者の行為に関する予想にのみ準拠して方向づけるのではなく、当の秩序に対する(主観的な意味において把握された)『適法(Legalität)』が自分たちに『義務づけられている(verbindlich)』という主観的見解が彼らのあいだに有意な程度に広まっていると平均的に当てにできればできるほど、まさにそれだけその予想は平均的な確かさをもって『根拠づけられる』のである。」(58-9)

・【目的結社】:ゲゼルシャフト関係の合理的な理念型

=「ゲゼルシャフト行為の内容と手段についての、すべての関与者によって目的合理的に協定された秩序を伴っている、ゲゼルシャフト行為」(62)

・【ゲゼルシャフト関係形成行為】:協定すること(64)。これによって例えば市場交換のようなゲゼルシャフトでない秩序が生まれることもある(72)

 

 

第六章 諒解

◆貨幣秩序の性格

・「ゲマインシャフト行為のある種の複合体は、目的合理的に協定された秩序を欠くにもかかわらず、@効果としては、そうした秩序が協定されているかのように経過し、また、Aこの特有の効果が、個々人の行為の意味のあり方によっても規定されている。」(77)

・「貨幣」による目的合理的な交換は、関与者たちの需要充足に関する共同経済的な制定秩序ではない。しかし関与者は、貨幣秩序に準拠して行為する。関与者は、「他人の利益が他人の行為について自分の側から抱きうる『予想』の通常の規定根拠であるがゆえに、貨幣使用者は、自分の利益を考えようとすれば、通例他人の利益をある程度考慮しなければならない」という状態におかれている。(78-9)

・言語ゲマインシャフトも、貨幣秩序と同様に、他人に理解されるように意味のうえで関係づけられた行為である。(79-80)

 

◆ゲマインシャフトでないもの

・路上でにわか雨にあった一群の通行者たちがかさを広げるという反応。これは「大量的・斉一的」行為である。(82)

・パニックの場合。群集心理に支配される場合。

【群衆に制約された行動】;「ある状況に関与している他の者たちが特定の行動様式をとっているという単なる事実によって個々人の行動が影響される場合」

 

◆諒解(Einverständnis)

=「他の人々の行動について予想を立ててそれに準拠して行為すれば、その予想のとおりになってゆく可能性が次の理由から経験的に妥当しているということであり、その理由とは、当の他の人々がかの予想を、協定が存在しないにもかかわらず、自分の行動にとって意味上『妥当なもの』として実際に扱うであろうという蓋然性が客観的に存在している、ということである。」(86)

・【諒解行為】=ゲマインシャフト行為の総体

・「諒解」は、「納得していること」や「暗黙の協定」とは区別されねばならない。諒解は、恐怖、宗教的進行、支配者に対する恭順、目的合理的な考量、その他の動機によって引き起こされる。制定律を事故の行動に対して妥当なものとして扱うという平均的な可能性があればよい。(115)

 

◆諒解における客観性と主観性の区別

・客観的に妥当している=見積もることができる可能性

・主観的に当てにする=自分の抱く予想を他の人々が意味のうえで妥当なものとして扱うだろうと主観的に当てにすること

→客観的妥当性と「主観的に当てにできること」の間には、「理解できる形で適合的な因果連関が存在している。」(86-7)

 

◆「適法」諒解による妥当

・ただ単に他の人々の行動に関する「予想」に準拠するだけであれば、それは諒解の極限事例であり、高度に不安定なものである。関与者たちが、諒解にかなっている行為を自分にとって「義務づけられている」と平均的に見なすだろう、という事態において、予想は客観的に根拠づけられる。協定もまた、究極的にはこの「適法」諒解によって「妥当」している。(88-9)

・妥当している諒解は、「暗黙の協定」と同一ではない。(89)

・「諒解を介してゲマインシャフト関係にある人々は、状況によっては、個人的には互いについて何も知らなかったということがあるのだが、それにもかかわらず、彼らの間での諒解は経験的にはほとんど不可侵に妥当する『規範』をなす、ということさえありうる。」(89-90)

・「貨幣使用の場合も事情は同様であって、この場合の諒解は、当該交換行為に際して当人が抱く意味において貨幣として扱われている財を、未知の多数の人々が、債務の支払いのための、すなわち、ある『義務づけられた』ものとして妥当しているゲマインシャフト行為の履行のための、『有効な』手段と扱う可能性として存立している。」(90)

・「単純なゲマインシャフト行為の事実上の合成作用にとどまらぬものが共に行為する個々人の主観において存在すると言えるのは、経験的に『妥当する』と想定された何らかの諒解に準拠して行為が方向づけられている場合に限られる。つまり、例えば関与者の一人が、そうすることがその協同行為の『意味』に合致している限りは、そしてその間は、当の現実の協同行為に参加し続けなければならないと考えるだろう、という諒解に準拠して行為がなされる場合である。」(91)

 

◆予想と諒解

・予想は、「適法の予想」である限りにおいてのみ諒解を構成する。(92)

・「諒解を構成する意味関係や『予想』は、当然のことながら決して目的合理的な計算、あるいは合理的に構成しうる『秩序』への準拠、といった性格を備えていなければならぬわけではない。『予想』への準拠が『妥当している』というのは、諒解においてはむしろ、ある者が他者の(内的・外的)行動の多かれ少なかれ、しばしば『妥当する』とみなされている特定の意味内容に応じてみずから行動しうる可能性が存在する、ということを意味するに過ぎないのであって、その場合の他者の行動の意味内容は、ひょっとするとこの上なく非合理的なものであるかもしれないのである。」(93-4)

・「諒解行為の実在的基礎は、その『諒解』を妥当させるように作用する『外的』・『内的』利害の布置連関にすぎない」(95)

 

◆合理的な社会の分化と組織化

・「個人が自分の行為を合理的に準拠させる諸領域が、それらにとって構成的な可能性のありかたの点で数多く、また多様であればあるほど、『合理的な社会分化(gesellschaftliche Differenzierung)』は進展していることになるし、個人の行為がゲゼルシャフト関係の性格をもてばもつほど、『合理的な社会組織化(gesellschaftliche Organisation)』は進展していることになる。」(98)

 

◆貨幣経済とロビンソンの経済の相違

・私的な貨幣経済は、ゲゼルシャフト行為、諒解行為、ゲマインシャフト行為を含んでいる。これに対してロビンソンのような理論的事例は、ゲマインシャフト行為を含まず、したがって諒解に準拠した行為を含まない。ロビンソンの営みは、自然対象の行動についての予想にのみ意味のうえで関係づけられているからである。(99-100)

 

 

第七章 アンシュタルトと団体

 

◆アンシュタルト(Anstalt)

・「@自発的な『目的結社』とは対照的に、本人の言明とは無関係に純粋に客観的な用件に基づいて帰属させられること、A意図的・合理的な秩序を欠いていてその点で無定形な諒解ゲマインシャフト関係とは対照的に、そうした人為的に合理的秩序と強制装置とが存在していて、それもまた行為を規定しているという事実」がそなわったゲマインシャフト。(110) ・例:国家、教会

・「家ゲマインシャフト」や「言語ゲマインシャフト」はアンシュタルトではない。合理的な制定律を欠いているからである。

 

◆団体(Verband)

・アンシュタルトは「ゲゼルシャフト」に基づく ⇔ 団体は「諒解」に基づく

・「@個々人は、当人が参加しようとして目的合理的に何かをすることなしに、諒解によって参加したものと見なされ、そして、Aそのために制定された秩序がないにもかかわらず、その都度特定の人々(権力者)が、諒解によって実行力をもつ秩序を、諒解によって団体に属するとみなされている関与者たちの行為に対して発令し、さらに、Bその特定の人々自身、あるいは他の人々は、諒解に反して行動する参加者に対して、……物理的ないし心理的な強制を行使する用意がある、といった諒解行為である。」(111)

・例:家ゲマインシャフト、家産制的な政治形態、予言者と使徒たちのゲマインシャフト、教団など。

・現代では、「団体」は「アンシュタルト」へ漸移的に移行しつつある。(112)

 

◆ゲマインシャフトの合理化が意味すること

・九九の妥当は、諒解的妥当の一つの例である。諒解とは、さしあたり、習慣であるがゆえに従うことである。(121)

・新しく目的合理的に制定された秩序も、定着すると、最初の意味は忘れられるか意義転換する。→社会の複雑化による。(122-3)

・「合理的」秩序の経験的「妥当」は、それ自体また主として、習慣となったもの、慣れ親しんだもの、教え込まれたもの、いつも繰り返されるものには服するという諒解の上に成立している。(124)

・未開人の合理性(125)→文明人が合理的であると言えるのは、@生活諸条件が合理的に制御しうる人間の制作物であるという信仰、A計算に基づく行為可能性への確信にある。